内閣総理大臣賞「それでも僕は桃を買う」
宮城県の古川黎明中学校3年生の「それでも僕は桃を買う」は、中国国籍の作者が友達とけんかしたときに中国人と言われたことと福島県産の桃に対する偏見が似ていることを綴り内閣総理大臣賞を受賞しました。福島県産は件の東日本大震災のことで生まれた風評被害ですが、作者が友達から中国人だと差別されたことも同様だと訴えています。このため、自分自身が差別される側の気持ちを分かっているため、サービスエリアで売られている福島県産の桃を買うことを決めています。作者は福島県産の桃に対する偏見に対し県民をも差別していると感じ、しないようにするために買うことを決めこの世界から差別をなくすように努力していくことが大事だとアピールしています。
http://www.moj.go.jp/content/000116357.pdf
法務大臣賞「NO!と言える強い心をもつ〜ハンセン病問題から学んだこと〜」
広島県の学校法人盈進学園盈進中学校1年生の「NO!と言える強い心をもつ〜ハンセン病問題から学んだこと〜」は、元ハンセン病の患者が社会の厳しい差別と偏見の中で生きてきた様子を綴り法務大臣賞を受賞しました。ハンセン病は発病すると隔離された生活を強いられ、子供は学校でいじめられるなどつらい経験をしていました。最近ではいじめによって自殺するニュースも聞くこともあり、ハンセン病の患者の経験した話と共通し差別があったからだと認識しています。作者自身は周囲に流されやすい人間ですが、ダメなことはきちんとダメと言う真の勇気が必要だと考えています。ハンセン病の問題は国が誤った認識をして発生したことであり、作者は自分自身で善悪を判断することが重要だと訴えています。
http://www.moj.go.jp/content/000116450.pdf
文部科学大臣賞「障害者だって、幸せだ」
兵庫県の姫路市立広畑中学校3年生の「障害者だって、幸せだ」は、先天性四肢切断で右手全指をなくしている状態で差別を受けることに対して困っていると綴り文部科学大臣賞を受賞しています。「かわいそうだね」という言葉は一見するとやさしそうに励ましているように感じますが、本人にとっては障害があることを言われていて傷付くものです。作者は右の指がないことが当たり前の状態で育ち、母が右手を隠さないようにできるようにサポートしていたことに感謝しています。この経験を踏まえできるところまで自分でやることを認識し、いつまでも人に甘えないようにしないといけないと感じています。最近では出生前診断で胎内にいる赤ちゃんに障害があれば中絶する問題があり、作者は経験を踏まえこのような行為に対して残念だと語っています。
http://www.moj.go.jp/content/000116359.pdf
法務副大臣賞「お兄ちゃんへ「ありがとう。」」
福井県の坂井市立三国中学校1年生の「お兄ちゃんへ「ありがとう。」」は、作者が仲間と遊んでいるときにおじさんに道を尋ねられて聞き取れなかった経験に対する考え方を綴り法務副大臣賞を受賞しています。姉の人権作文の発表会でお兄ちゃんが難聴のため耳に何かを付けながら周囲に伝えたいことを伝えるよう努力していることを知り、きちんと聞いて対応できなかったことを振り返っています。タイトルのありがとうは耳が聞こえにくい状況に対して障害者に対して偏見を持たず、健常者と同じように接することが大事だということを教えてくれたことに感謝しています。この話を聞いて作者自身は強さと勇気をもらい、耳の不自由な人に会っても話したいと訴えています。
http://www.moj.go.jp/content/000116360.pdf
法務大臣政務官賞「「思い」を受け止め「心」をつなぐ」
兵庫県の西宮市立大社中学校3年生の「「思い」を受け止め「心」をつなぐ」は、作者が東日本大震災の被災地を訪問して感じた様子を綴り法務大臣政務官賞を受賞しました。作者は現地で仮設住宅を訪問し、周囲には何もなくて不便な場所でしたが暮らしているお年寄りから悩みや今後の心配などを聞いたり歓迎されたりしてさまざまなことを感じたようです。東日本大震災は津波で家や友人などを失うなどつらい出来事ですが、作者が実際にボランティアとして現地に行っていろいろな人と出会うことでつながることが重要だと訴えています。作者の出身地と東北は距離は遠くなりますが、作者は自分自身の力は小さくてもたくさんの人の思いを受け止めるとつながると考えています。
http://www.moj.go.jp/content/000116361.pdf
全国人権擁護委員連合会長賞「平和のバトン」
岡山県の岡山市立石井中学校2年生の「平和のバトン」は、広島原爆のときに弁当を食べずに亡くなった少年の遺品の焼け焦げた弁当箱や水筒の様子を見て戦争の恐ろしさを実感したことを綴り全国人権擁護委員連合会長賞を受賞しました。作者は祖母から一番上の兄が中学3年で海軍に志願した話を聞き、家族全員が涙を流して見送った写真を見せて当時の様子を語っていました。祖母は兄が呉から横須賀に向かうときに母がその姿を見るために岡山駅に行き、シャッターが降りた列車の窓から手が見えたようです。その姿を弁当を食べずに原爆の犠牲になった少年と重ね合わせ、戦争の悲惨さを伝えていくことを心に決めて平和のバトンという題名に思いを込めています。
http://www.moj.go.jp/content/000116362.pdf
一般社団法人日本新聞協会会長賞「在日韓国人の家族と私」
兵庫県の尼崎市立南武庫之荘中学校1年生の「在日韓国人の家族と私」は、韓国の親戚が同じ一族として50年ぶりの再会になり自分自身のルーツを知って在日韓国人に関するイメージが変わった様子を綴り一般社団法人日本新聞協会会長賞を受賞しています。最初は在日韓国人であることはあまり意識をしてませんでしたが、2つの故郷があることはすばらしいと感じたようです。しかし、担任の先生からコンクールで在日韓国人だと不特定多数の人に知られることになり、何かあってはいけないと配慮して出品できないと言われました。このことに対して両親は自分たちが責任を取るため出品するよう願い出て、結局は入選して在日韓国人だと公表し日本と韓国の2つの国を人権によってつなげるべきだと訴えています。
http://www.moj.go.jp/content/000116363.pdf
日本放送協会会長賞「本当の国際化とは」
広島県の三次市立布野中学校2年生の「本当の国際化とは」は、混雑するコンビニで外国人の店員さんが男性客に外国人だからと怒鳴られたことが差別的な発言だと考えその様子がヘイトスピーチに似ていることを綴り日本放送協会会長賞を受賞しています。そのコンビニで差別的な発言があってもほかの客は無関心でさっさと店を出てしまう有様で、自分自身もそのうちの一人だと認識して反省しています。その後はその店員さんも店で見かけることがなくなり、そのときにかばう人がいれば変わっていたと伝えています。変わっていることといえば店員さんが日本人に対する見方であり、ヘイトスピーチや反日デモを起こす人たちが相手の人権を侵害しているためなくすべきだと語っています。
http://www.moj.go.jp/content/000116364.pdf
法務事務次官賞「「いのち」の重み」
静岡県の長泉町立長泉中学校3年生の「「いのち」の重み」は、胃ろうになった祖父のことについて綴り法務事務次官賞を受賞しています。胃ろうは脳梗塞の発症から痴呆がひどくなり話したり考えたりすることができなくなる病気で、その姿を見て健常者の自分自身が幸せなものかと感じます。祖父は脳の働きがほとんどなく、ベッドに横たわっていることしかできなくなりました。母や祖母は結論を出せないままになりましたが、誰もがこのような姿になることを望んでいないため難しいものです。祖母は自分の場合は胃ろうにしてほしくないと願い、自分の力で生きれなくなればそれで十分だと考えています。作者はこの様子を見て命の重みや大切さを知り、そのうらさに向き合うことが人としての在り方と語っています。
http://www.moj.go.jp/content/000116365.pdf
法務事務次官賞「電車内に咲いた、笑顔の花」
大阪府の河内長野市立加賀田中学校2年生の「電車内に咲いた、笑顔の花」は、足が不自由なおばあさんが近くに来ても無関心で席を譲ろうとしない若い男性に対する考え方を綴り法務事務次官賞を受賞しています。作者はその電車で目的地の駅で降りるときにそのおばあさんの手助けをすると発車してしまいそうになりましたが、ドアの近くにいた男性が待ってくれるように車掌にアピールし周囲の人たちも気遣ってくれました。おばあさんはその作者の行為に対してこんなにやさしくされたことは初めてと語りましたが、作者自身は今までどのような扱いを受けていたのか気になっていました、そして、周りがなんと言おうと優しいことを貫き通し、善悪を真剣に考える機会を分かってもらいたいと訴えています。
http://www.moj.go.jp/content/000116366.pdf
法務事務次官賞「共に生きるということ」
福岡県の筑紫女学園中学校2年生の「共に生きるということ」は、小学生の同級生の父が高校生の頃に理科の実験の際に両目を失明したことを伝えられました、その人が人権学習のときに目をつぶったままコップに水を汲みに行くように伝え、その様子を担任の先生が目の見えない人がどれほど大変でつらい思いをしているか分かると言いました。しかし、そのことに対して目が見えなくてもちゃんと一人で歩き、訓練や慣れることで他の人と同じようにできることを伝えたいと言いました。このやり取りを見て作者は申し訳なく恥ずかしく思いましたが、同時に勇気づけられたものです。このような経験を踏まえて作者は、障害者に対して気の毒やかわいそうでは差別にあたり、人と同じように接し必要な部分だけサポートすることが重要だと語っています。