【受賞作のポイント】第34回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文




内閣総理大臣賞「被害者と加害者、それぞれの立場」

佐賀県の佐賀県立武雄青陵中学校1年生の「被害者と加害者、それぞれの立場」は、作者が遊び中の事故で加害者になって母にその被害者のために生きるように言われたり父親からさだまさしさんの「償い」という曲のことを聞いて同じような境遇だと綴り内閣総理大臣賞を受賞しました。その後は被害者に謝罪するときに父がユニフォームを着替えるように良い、それこそが小さな気遣いと感じています。その後は友人の怪我も治りそれぞれの志望校も違ってバラバラになったものの、部屋には二人で肩を組んで撮影した写真が飾っています。事故は過失であっても他人の権利を侵すことや自分だけでなく家族や周囲まで巻き込むことを教えてくれたと強くアピールしています。

http://www.moj.go.jp/content/001129613.pdf

法務大臣賞「戦争を次世代へ伝えて」

福岡県の久留米市立田主丸中学校3年生の「戦争を次世代へ伝えて」は、被爆者に対して中学生が死に損ないという言葉を発したことを聞いて戦争の事実を曾祖父から聞いてその思いを綴り法務大臣賞を受賞しました。曾祖父は日中戦争のときに息子の祖父が生まれる年から6年間戦場にいて、中国やベトナム、ミャンマーなどに渡っていました。ビルマで爆弾の爆風で頭と手に深い傷を負い、今でも痛々しく残っています。曽祖父は戦争の思い出話以外にも現地で見たことを伝え、色鮮やかなパイナップル畑やウミガメの産卵などで日本を思い起こしていたようです。曽祖父は帰国しても集落の人々は冷ややかな目で見たため、被爆者に対して死に損ないと言った中学生のエピソードと重ね合わせて戦争の残酷さを訴えています。

http://www.moj.go.jp/content/001129614.pdf

文部科学大臣賞「きれいな心のままで」

茨城県の日立市立久慈中学校1年生の「きれいな心のままで」は、祖父が50年前に的障害があり身寄りのない人を働き手として引き取りました。知的障害がありながら作者たちと遊んでくれたことで、その様子を「心のきれいな人」と表現し、障害者という言葉に対して好きでないと言ってます。知的障害者はものが捨てられないなど様々な制限がありますが、その人は家族の一員として働いてくれたことで作者は大切にすべきだと語っています。その後は病気で入院することになりましたが、離れていても家族と一緒に写っている写真をリビングに飾っています。作者はこの経験を通し基本的人権について勉強し、障害がある人を弱者ではなく弱い人と捉え助けるべきだと語っています。

http://www.moj.go.jp/content/001129615.pdf

法務副大臣賞「人間らしく生きる」

和歌山県の和歌山県立古佐田丘中学校3年生の「人間らしく生きる」は、祖父ががんで亡くなったときに医師たちが重要な治療をすぐに決めるように強要したことを患者の人権を考えていなかったと訴えて法務副大臣賞を受賞しました。祖父はいつの間にかがんが大きくなって気管切開をするときですが、大変なことで祖母と母はしばらく考えるように言いましたが手術ができるスタッフがいないという理由ですぐにするように言われたようです。結局は手術を受けて声を失うことになり、コミュニケーションはホワイトボードですることになりました。祖父は気管切開がなければこのようなことはないとボードで伝え、この様子が自分よりも立場が弱い人を心配し医師に対して弱者の立場に立ってほしいと訴えています。

http://www.moj.go.jp/content/001129616.pdf

法務大臣政務官賞「真の国際化に向けて」

神奈川県の横浜市立青葉台中学校2年生の「真の国際化に向けて」は、理科のレポートを書くときにやらなくてもいいと言われて日本語に慣れないことに気を遣ったものだと思い距離感を感じたと実感したことを綴り法務大臣政務官賞を受賞しました。作者本人は周囲が気を遣ってくれたことに感謝はするものの、同時に外国人といって特別扱いしてほしくないと訴えています。中国から日本にやってきて学ぶときは外国人として扱われ、作者自身も中国の代表として見られたことで中国のことを聞かれたり質問をされていました。しかし、今後は国際化が進んでいきますが外国人に対する扱い方を平等にすることが重要だと考え、その積み重ねが真の国際理解になると語っています。

http://www.moj.go.jp/content/001129617.pdf

全国人権擁護委員連合会長賞「未来は自分自身にかかっている」

千葉県の筑波大学附属聴覚特別支援学校中学部2年生の「未来は自分自身にかかっている」は、聴覚に障害を持った作者が将来の目標について語って全国人権擁護委員連合会長賞を受賞しました。作者は母に相談すると難聴だからといってなれない仕事はないと言われ、ただ単に欠格条項だけを読んで話していることが分かって言われたものだと理解しました。最近では補聴器をつけて不自由なく働けるようにサポートしてくれる職場も多く、作者と同様に難聴でありながら看護師試験に合格して免許をもらえたことで欠格条項が減り、きちんと読むべきだったと語っています。このような経験をしたからこそ難聴でも幼い頃からの夢を持ち続け、あきらめないようにすることが重要だと語っています。

http://www.moj.go.jp/content/001129618.pdf

一般社団法人日本新聞協会会長賞「「当たり前」がかなう日を夢見て」

宮崎県の宮崎県立宮崎西高等学校付属中学校1年生の「「当たり前」がかなう日を夢見て」は、脳障害を持つ姉を家族の中で特別の存在として夢を与えてくれたと綴り一般社団法人日本新聞協会会長賞を受賞しています。姉に病院で付き添って見えた光景を思い出し、落ち着いた様子で診察して処置する医師の姿を見て家族にとってかけがえのないものだと思い医師になることを決めました。脳に障害があることで偏見の目で見られることもありますが、母が姉と一緒にいるように言うと堂々とするようにしたものです。姉は特別支援学校高等部に進み母が授業参観に行くと家族を守れるようなかっこいい大人になりたいという決意があり、この言葉に刺激を受けてその一人であることを誇らしいとアピールしています。

http://www.moj.go.jp/content/001129619.pdf

日本放送協会会長賞「生の終わりに」

広島県の呉市率安浦中学校2年生の「生の終わりに」は、過去に何度も大きな手術をしてきた祖母が献体をすることについて綴日本放送協会会長賞を受賞しています。祖母は持病をかかえ過去に何度も大きな手術をしてきたため、献体をする行為が恩返しになると伝えています。母はそのことについて反対していますが、祖父を早くに病気で亡くして病気がちな祖母と生活をするためです。祖母は孫の作者に同意をするように言ってきましたが、道徳の時間で学んだことで再び迷うことになります。祖母は自分の体を他人のために役立てることが恩返しだと考えていますが、そのことが尊重されるべきであるか戸惑っています。作者はこのことで死を通して生のことを考えるきっかけになったと語っています。

http://www.moj.go.jp/content/001129620.pdf

法務事務次官賞「父の背中」

東京都の青梅市立新町中学校3年生の「父の背中」は、自立支援施設で働く父の姿について綴り法務事務次官賞を受賞しています。父の仕事は問題を起こす児童がいればすぐに対応しないといけないため家にいることが少なく、作者自身もどのようなことか聞くことに抵抗がありました。父親は作者と同じ年の頃に離婚して母が家を出てしまい、父親は働かなくなって借金に手を出してしまいましたが知り合いの大人たちが助けてくれて感謝しきれなかったためにこのような仕事をしていると語っていました。作者はその話を聞いて父親のように人のために尽くせるような人間になろうと考え、父の背中というタイトルで陰ながら人を支える存在になりたいと訴えています。

http://www.moj.go.jp/content/001129621.pdf

法務事務次官賞「手伝えることはありますか」

神奈川県の厚木市立荻野中学校3年生の「手伝えることはありますか」は、仕事中の事故で怪我をして右手を失い涙を流していた姿を見て自分がサポートすることが最善策だと考えた様子を綴り法務事務次官賞を受賞しました。作者は父親が右手がないため一緒に歩くことに抵抗があり、父の手伝いをしてなるべく手を使わせないようにすることが最善策だと考えていました。父はやればできる子と言って助けようとしたときに阻止したこともあり、今までの行動が良心ではなく単なる押しつけだと認識したものです。父は自分自身でやりたいと思っていたことを他人がやると押し付けているような行為になってしまうもので、差別のない社会づくりをすることが重要だと語っています。

http://www.moj.go.jp/content/001129622.pdf

法務事務次官賞「強い心を持つ」

栃木県の大田原市立若草中学校1年生の「強い心を持つ」は、全身の神経が病気になって筋肉に命令がいななくなる症状で、知らされる1年前に発症していたようです。父は何も悪いことをしていないのにこのような不自由な状態になり、作者たちは辛い気分になっていました。友達は父のことについて心配してくれますが、同情はされても自分自身が仲間に入れなくて嫌になっています。父は障害がありながら頑張っていますが、友人にバレたくないために車椅子を隠した自分自身に恥ずかしくなっています。このような経験を通して作者は自分自身の弱さを再認識し、父の車椅子を押して外出し強い心を持ち頑張る姿をアピールすることが重要だと訴えています。

http://www.moj.go.jp/content/001129623.pdf




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